被災地での支援。女川町への移動。

今日、被災地支援へ行って来ました!


場所は女川町総合体育館。


〈集合〉
今朝8:30。仕分けしたネオブラ事務所ビル前に集合。5Fから荷物を下ろし、5台に積み分け。

仙台市を出発、岩切を過ぎ、三陸道の鳴瀬奥松島I.Cから石巻方面へ向かいました。



〈肌で感じた事と道中の変化〉
僕の様に、こういう機会が無い限り被災地に行けない人は、TV等のメディアから情報を得ます。



やはり、現地で、肌で感じるモノは予想と違う部分も多かったです。



内陸部。

道路は多々陥没しており、新し目の家は瓦が剥がれていましたが、店舗も割と営業しており、大事には至っていませんでした。



状況が一変したのは石巻のI.Cを下りてからでした。


道路が砂っぽい。

どの店舗も営業していない。

急に家々が損傷を受け出す。

途中、石巻の郵便局に物資の受取りに行った際、車を出た瞬間に異変に気付きました。



「臭い。」



海と、ヘドロの臭いが外に出た瞬間に鼻を突いて来ました。


郵便局隣の電話ボックスには、胸の位置まで水が来た跡。



途中b-boyヒロフミ(フミ)くんの実家で追加の物資を積む。



そして、閉鎖されたボウリング場跡で今回の支援を知り、個人で物資依頼をして来た方へ先に靴やおもちゃを渡す。

受取った方はフミくんの実家そばの方で、喜んでました(^^)


支援する側も被災してる、という方もいます。



津波の威力〉
そして、トンネルを抜けた瞬間、一気に状況が急変。




場所場所により、津波をモロに受けた場所が全滅していました。



車で走っていて、言葉が出ませんでした。



その後、暫くして女川町の海沿いで更に衝撃を受ける。



同じ地区でも、スーパーがやっている所と、全てが無くなっている所。


あまりの落差に衝撃を受けると共に、僕らが向かった避難所は、津波をモロに受けた地区の高台で、TVで世間に流される所はこういう場所だと、分かってるつもりでも改めて思い知らされました。





そして、午後2時頃だったか、避難所である女川町総合体育館へ到着。



その時、異変に気付く。


長距離の運転、物資の運搬、悪路。


避難所に着いた時に、車の前輪両方がパンクした様にエアが抜けていました。



隣のグランドには自衛隊の車とテント、「監視カメラ作動中」の生々しい看板。


フミくんの案で、自衛隊員に声をかけてタイヤのエアを入れて貰えないかお願いしたが、敢えなく撃沈。


「パンクはしてないので、麓のガススタで空気を入れて貰って。」


残念ですが、仕方ない。そうしよう。


ともあれ、外の木陰で物資を並べ、青空市の準備は始まりました。