タントからセレナへ

◎長いです。

遅まきの新入社員の時にローンで書い、11年乗ったタント。 忘れもしない、キンちゃんが太鼓を満タンに積んでるのを見て、当時イベントやアフリカンライブ、舞台の時に役に立つ!と思い新古車で購入しました。
仙台にいったり、さらに先の小樽まで往復3000km走ったり、千葉のタカギニー&ミカちゃん家まで行ったり、ユッキンのbebop×サバールのステージリハで毎週渋谷まで運転して行ったり、日本全国各地へ。この車でboppinjiveに行ったりもしてました。
もちろん、奥さん、子供との想い出も数限りないです。

12万5000km乗り、子供も産まれて、毎週ベビーカーと荷物でもうこの車では厳しくなって来て。

今年の夏、セレナを試乗しに行きました。

親父が亡くなる前、最後に知り合いのディーラーの営業さんに、病気を隠しながら、明るく楽しそうに「息子がセレナ見たいと言ってるんだけど、今からいいか?」と掛け合ってくれたのがこの車で、

お盆休みのこの電話が最後の家族以外との会話でした。

親父は日産の系列会社で働いてて、ずっと日産車でした。
サニー、
シルビア、
ブルーバード、
初代セレナ、
プレサージュ
プリメーラ
ノート、、、、。 母親には、
マーチ、
パルサー等。

よくよく振り返ると、よくそんなに沢山買い換えたわー、とココでも親父の経済力に頭が上がりません(笑)

結局、親父が紹介してくれた時は見積り高すぎて、悔しいけど諦めていたら、新古車(試乗用に使っていた未使用車)が100万以上値下げされているのを見つけました。

車の値段って分からないもんですね(笑)

なので、念願叶い親父を追いかける様に日産車を購入しました。

自分には縁なんて無いだろうと思える程の良い車。

貯金なんて全く無い時代から考えると、働き家族を持ち、ファミリーカーを選ぶ中間管理職になったんだなぁ、と不思議な気持ちになります。

細かいところまでキリが無い位ランクアップされてて、ついつい夜にもドライブして夜景を見に行ってしまいました(笑)

今の車には普通?なのか分かりませんが、一番嬉しいのはBluetoothで音楽を聴けて、その音質がとても良いこと。
jazzやオーケストラ、Live音源を聴くととても気持ち良い。

次は15年位乗るのかなぁ?
家族の想い出を沢山作って乗り潰したいと思います😊

ありがとう、親父。
紹介してくれたのに、他の所でお得に買ってゴメンね(笑)

田原の叔父さん

メロンの漬物と梅干し。

◎先日、田原市へ行ってきました。
小学生以来の、親父の妹さん夫妻の家。
子供の頃の記憶と言えば、蜜柑の木があった事くらい。

車で2時間強、家の付近までは道が新しくなってて面影が無かったけど、脇道に入った瞬間に記憶が一気に蘇る。
到着してみると、ああ、こんな感じの駐車場だった、とうっすら蘇る記憶。

すぐに叔父さんが出てきて、「遠い所よく来てくれたね」と。
もうそれだけで何だかジーンと来てしまった。

渥美半島は名古屋より気温が2度ほど暖かく、海も直ぐ側。天気の良い日は富士山が見えて、夜は満天の星空なのだそう。

叔父さん曰く、「ここは隔離されている」そうで、同じ愛知県とは思えない穏やかな空気。

そう思うのは、普段自分が仕事の喧騒に巻かれている所為なのかも知れない。

お家は立派な日本家屋、畳の佇まいは、前の家と同じにしてあるらしく、自分が子供の頃訪れた、玄関が土間の家の面影を残す。

話し始めるお部屋も掘りごたつ。
甘味と、父の妹さんが漬けた美味しい漬物が出てきた。

これが、それなのである。
メロンの漬物と梅干し。

こちらから切り出しにくい話も、向こうから切り出してくれたり、

「仕事を頑張れば、その後楽しい事も沢山待っている」だとか、

「俺は胃袋を嫁さんに掴まれている」だとか、

グランドゴルフで県大会に出場して、そこで100歳位の方が自分より元気だ、とか(叔父さんは多分もうすぐ80歳位だか、ピンピンしてきる)

定年後10年位、アジアを旅行して回った話とか、

叔母さんが子供の頃、実家近くの神社の木でターザンしてた話とか、、、。

あっという間に時間が過ぎました。

このおじさんが自分は改めて大好きになりました。

子供の頃、あぐらをかいた膝の上に自分をちょこんと座らせてくれた事。

いつも親父とラガーを飲んでいる姿

他の親父兄弟よりも一番良く来てくれた事

など、色々想い出しました。

「少しだけ寂しかったのは、昔から、そして亡くなるまで、最期まで心を開ききってくれなかったなぁ、お前の親父さんは」と仰っていました。

相手が心を開く様に、と気遣ってくれたそうです。

まぁ親父も自分のペースを持っている人なので、止むなしなのですが、自分の知らない「外から見た年下の、奥さんのお兄さん像」を聴くのも何だか面白かったです。

また、「月日が経って行くと、段々親父の事も忘れて行くよ」と仰ってたのが印象的でした。

帰り際には線香を上げさせて頂き、

「また、夏に奥さんと子供を連れて遊びにおいで」「はい、是非」と交わし、

帰りには漬物と、トマトと、お菓子と、父の仏壇に供えるお花を持たせてくれました。

県道に出る近道を、と途中まで一緒に車に乗った叔父さん。

名残惜しそうに、一緒にいた姉と、手を握り合いました。

「あったかいなあ、若い人の手は」と叔父さん。

「大きいですね、叔父さんの手」と僕ら。

何だか、もう居なくなって味わえない父親の優しさに触れられた様な気が何度もして、

何度もウルっと来てしまいました。

まだ両親共に健在で、帰り際に野菜を沢山持たせて、帰りは駐車場で車が見えなくなるまで見送ってくれていた時の姿を重ね、とても愛おしく思いました。

実家の様な、

奥さんの仙台の実家の様な、

暖かさと優しさを感じられた時間でした。

また、改めて遊びに行こうと思いました。

いつも、こうやって遠路はるばる来てくれて居たんだ、と。

今度は自分がラガーを持って、叔父さんと酌み交わしながら、一晩泊まりに行って、朝散歩を一緒にしてみたい。

そう思った日でした。

健康に、長生き出来ますように。

ありがとう。

2018-08-21 父へ

父へ

◎孫の一歳の誕生日を伝えるまで頑張ってくれて、ありがとう。
別れるまでの日々、畑仕事や庭の剪定を楽しそうに教えてくれました。
整った庭の写真を見て!嬉しそうな顔をする貴方を見ているのが幸せで、
久しぶりに楽しい家族の時間でした。


そして、孫を連れて行くと、いつも優しくあやしてくれて、とても嬉しかったです。


天手古舞で一緒に食べた三色そば、
汁をこれでもかと飲んでた鴨そばを忘れません。
あの時、写真を撮るのをためらいました。
撮れば良かった、なんて思ってしまいます。


◎長男も産まれたし、ファミリーカーを探してる、と俺が言った時に、病床から明るく元気な声で日産ディーラーに電話して掛け合ってくれてありがとう。

あれが、家族以外で会話出来た最期の人でした。


◎仕事をする目標となってくれてありがとう。

俺は42歳の時課長だった貴方を目指します。
7歳の時、小学校の友達と、父親自慢をし合ってました。「ウチの親父の方が偉い」「イヤ、ウチの親父の方が偉い」

最終的に次長になり、その後関連会社で社長になった貴方を尊敬します。

俺は貴方を目指して、家族を楽にさせられる様に仕事を頑張ります。


◎最期まで、怖いとも、苦しいとも言わずに、延命治療はせず、でも生きる道を探した貴方。
「もうダメかもしれない」その一言を聞いた時は泣いてしまいそうでした。


責任感が強く、
几帳面で、
賢く、
いつも一歩二歩先を考えて行動していた、
ビールが好きで、
タバコを良く吸ってて
旅行が好きな貴方。


怒る事なく、
優しく、
その背中で生きる道を示してくれた貴方。


貴方が居なくなって、家族全員で家の事をしていると、如何に1人で家族皆を守ってくれていたかが分かります。


家族全員で駆け回り、貴方1人に届きません。


まだまだ至らない僕らですが、


空から暫く見守っていて下さい。


貴方が母とくれた命を、次の世代に繋いで行きます。


もう少し、僕らはこちらで頑張りますね。


愛する、尊敬する父へ


息子より

人生の10曲

Facebookや今流行りのInstagram(笑)にも書きましたが、忘れたくないのでココにも残しておこう。

昨日、豊田市美術館奈良美智さんの展示を観て来ました。
それはそれはとても優しく、暖かくて素敵でした。
特にvoyage of the moonは、暖かい月夜の家の造形で、心がホッコリしました。


そんな奈良美智さんの存在を知った2014年の番組「ミュージックポートレイト」


木村カエラと共演した2014年の回が、ずっと記憶に残っています。

そこで、前から自分にとっての10曲は?っていうのがあったので、自分の年齢順で、人生の節目節目に聴いてた曲でパッと出て来たモノと背景を書いてみました。

●メトロポリタンミュージアム/大貫妙子
みんなのうた」で子供心に観入って、声に癒されてた。頭の後ろのドアをパカッと開かれた覚えがあります。

●大迷惑/unicorn
姉の影響で10歳位の時に衝撃を受けた1989。今でも大好きな奥田民生を知った曲。

●気球に乗って/the boom
思春期。学校を休みがちだった自分。同じく休みがちだった親友と自分の部屋で良く聴いていた曲。

●get away/bobby brown
高校1年、海外のPVのダンスに衝撃を受けた中でも特にハマった曲。
影響はダンス甲子園でしたが、PVはコレとか、MichelのJAMとか、Eric B&Rakimとか数知れず。 この頃、MTVの"YO MTV RAPS"を友達に録画して見せて貰ってたな〜

●give it up or turn it loose/James brown
初めて買ったレコード。
ダンスイベントで、自分のソロ曲として使いたかったので、買って曲作りの時に持って行きました。
当時R&B DJにお願いして。そのままレコードを買い漁る様になる。

●all my life/k-ci&jojo
ダンス公演のエンディングとして使われて知り、その後ずっと聴いている。亡くなった後輩も好きだったと言っていて、幸せな想い出も沢山ある曲。

●life/bird
20代、ずーっと聴き続けた曲。
コレも当時ダンス公演のエンディングで選曲しました。当時日比谷の野音にLiveを観に行き、帰りに新橋のガード下の屋台で飲んだのもいい想い出。

●アイ/秦基博
30代に入ってからの、コレも大切な想い出の曲。
Liveで生で聴いた時は感動して泣いてしまった。 ホントCDと同じ唄の上手さ(笑)

●crazy crazy/星野源
現在、という感じ。仕事や日々に疲れた時、この人の曲にスカッとさせられたり、癒されたりしてます。
生命の危機から生還した人の葛藤と潔さを感じる。 辛い気持ちで作った曲をアレンジで明るく楽しくしてしまう所がカッコいい。
人生短くいつ終わるか分からないと思う程、この人の様に大量の仕事も愉しめる様になりたい、と思う。

●奇跡 /くるり
くるりの曲はそんなに沢山知らないけど、とても優しく温かい。
ああ、確かに人生の最期はこの曲を聴きたいな、とこの番組を見て思いました。

と、数え出すとキリが無く、書き出すと、あーあれも入れたい、コレも入れたいとなってしまうので、あまり考えすぎず書きました。
それでも11曲になったり、もう一曲入れたくなり(笑)

また時間が経つと変わる曲もあるだろうし、ずっと変わらない曲もあるかな。
別の日、別の状況で書いたら違うのもあるかも。

曲は人柄を表したりもすると思うので、コノ曲にこんな想い出あるよ、ってのが聞けたら面白いな〜と思いました(^^)

皆さん、それぞれに節目に聴いていた1曲って何ですか?(^^)

わにわにと日々2

安定期に入ったら、想い出も残そう、と記念写真もphoto studioで撮りました。

今回の妊娠の最初の診察の時、エコーで奥さんのお腹を除いたその時。

絵に描いた様な小さな手足が動いたのです!

その動きがわに、わにと手足を内側に握る様な動きを2回したので

その時から、お腹の子には「わにわに」となりました(笑)

安定期に入るあたりから、その生命のには感動させられました。

胎動というものは、ポコっと蹴るレベルでは無く、ドコドコグリグリと動きまくるのです。

おおっ!と、ちょっとビックリする位。

特にペンタトニックスのLiveの低音への反応、源さんLiveの反応は凄くて。

あとj soul brothersが流れるとドコドコ動く(笑)

それと同時期に、会社の同僚から「お母さんが末期ガンで余命2ヶ月」と宣告されました。

自分はチームリーダーでもあるので、

「会社の事はフォローするので、気にせず任せて家族との時間を大切にしなさい」と伝えました。

それは、自分の奥さんが病気で追い詰められた昔、出向先のお客様が言ってくれた言葉でもありました。

気丈に振る舞いながらも、途中嗚咽して泣く同僚の姿は今でも忘れられません。

そして2ヶ月後、宣告の通りGW頭に同僚のお母さんは亡くなりました。

また、それから少し経った6月にはニュースで小林麻央さんの訃報もありました。


生命の産まれる奇跡、
生命の儚さ、


時間と共に大きく大成長するお腹
時間と共に失われる命


自然の摂理には逆らえず、何気ない時間の中に
何気なくない出来事は進んで行っている事を痛いほど実感させられました。


この7ヶ月間、沢山の心配と迷惑を掛けながら、奥さんと2人3脚で産まれる生命を迎え入れるべく、毎日を支え合って来ました。


その間、仙台のぼすもはるばる遊びに来てくれたね(^^)

さやか、あゆみんの産まれた子にも会えましたね!


7/18。実家の仙台で初産をすべく、奥さんは新幹線で帰省しました。

そして8/6。あれから3週間弱。


出産前後、奥さんが帰省している間、8ヶ月振りにダンスを再開して、鈍った身体を戻したり、海に行って日焼けし過ぎたり(笑)
一人の生活を過ごしてます。


こうやって久々に日記をじっくり書いて見たり。


そんな日々の中、奥さんの存在の大きさを実感しています。


9/5で付き合い始めから7年になりますが、こんなに濃く、あっという間な7年はこれまでありません。

それほど彩り深い、幸せな日々です。

わにわにの予定日は8/23。
昨夜に身体の変化を奥さんが訴えていて、不安で辛そうでした。

2960gまで成長してるのし、そろそろこの世に出てくるかな?

というか、感覚的に後は外の世界にいるか、いないかだけで、もう生きていて、家族なのです。

お腹の子の愛しさ、生命の素晴らしさは、思ったより父親でも感じられるのだと喜んでいます。

これからも、きっと辛いことも楽しい事も色々あると思うけど、

産まれる前のこの愛しい気持ちを此処に残し、

新しい日々を夫婦で、家族で幸せに過ごそうと思います。

自分がお爺ちゃんの日記を観た様に、いつか自分の子供や家族、子孫がこれを見るのかな。

ちょっと恥ずかしいね、それ(笑)

覚王山日泰寺でお祈りし、
日進の6階の家でこの日記を書く
2017.8.6

一馬より、産まれる我が子と奥さんへ。

P.S奥さんへ。
貴女はこれまで色んな苦しみを乗り越えて来ました。

出産の痛みや不安は、これまでの頑張りや痛みを乗り越えて来てるから絶対大丈夫!

一緒に新たな生命を迎えようね(^^)

わにわにと日々1

2017年8月6日。
家で、独りでこの日記を書いてます。
時間がある今だからこそ書けるかな?

◎2016年末から2017年、ココまでは怒涛の日々でした。

個人的には天国と地獄を同時に味わうスタートでした。

◎2016年末12/28頃、AM5:00
夜明け前のまだ暗い時間に、奥さんが泣きながら僕の事を呼びました。

「ずーちゃん」

大号泣する奥さんに若干引き気味の俺(笑)
びっくりする気持ちを抑えながらどうしたの?
と聞くと、


「子供出来たかも」と。


コレは本当に嬉しかった。

2人で「よかったね」「よかったね」
「無事出来たね」
「ココまで良く頑張ったね」
と抱き合いました。


●遡り2011年5月、東日本大震災からまだ間もない頃。
ダンサーの大御所先輩の二次会に彼女と出席し、被災地支援の為に名古屋の皆から物資と支援金を募い、タントに詰め込んでさあ、仙台へ行こうかとしていた夜でした。

彼女から「妊娠したかも」と言われました。

しかし、同時付き合いまだ半年ちょっと。
自分の誕生日に、彼女の地元東北で震災もあり、まだ一度も現地の様子が見れない時。

そして、結婚の話も出ていない、心の準備も出来てない時で、

どうしよう、両親にどう伝えよう、GWでこっちの産婦人科もやってない、というタイミングでした。

とにかく仙台に行き、一泊した翌朝現地でコッソリ2人で産婦人科へ行き、検査薬の結果がどうだったか確認しました。

「4週目です」との診断。

この時、2人で仙台の実家近くの「さんちょこ」のベンチで彼女が号泣したのは今でも忘れません。
まだまだ人生やりたい事沢山。
名古屋で生きていく勇気も無く不安。


そして、それだけでは終わらず、名古屋に戻ってから大量出血し、緊急連絡を貰い、2人で星ヶ丘産婦人科へ通院。

「胞状奇胎」との診断。
すぐその晩には手術でした。
術後、タンカに乗せられ、薄れる意識の中で何度も吐く彼女を目の当たりにして、この人を一生支えるんだ、と当時強く想ったものです。


その時、感極まりプロポーズするも、「こんな時にそんな事言わないで」とアッサリ断られたのも今となっては笑い話(笑)
※その後、富士山山頂でプロポーズし無事結婚

そしてそのままでは終わらず、侵入危殆と診断され、彼女は抗ガン剤治療をする事に。

異常妊娠、治療で来る吐き気、抜ける髪。
そんな苦労と心労を重ね、乗り越え、仲々子供が出来ない日々で不妊治療も考えていたので、本当に嬉しさ一際でした(^^)


間も無くして悪阻が始まりました。

そしてそんな新年、仕事での中国、南京行きが急遽入り、

色々重なり頭が一杯になった状況の中で、人生の大きなミスを重ねました。

仕事が忙しく、仲々帰宅出来ないのを見かねて、実家のお母さんが1週間、体調の悪い娘のゴハンを作りにこちらの家まで来てくれました。

あまりに不甲斐なく、でも遠慮する余裕など無く、素直に甘えてお願いしました。

3月末位までは仕事もプライベートも全てバタバタで夫婦共に不安な日々で、

安定期に入る頃、5月位にやっと少し生活も落ち着きを見せ、

気分展開に星野源、ペンタトニックスのLiveを夫婦で観たり、リフレッシュが出来る様になりました。

プーケット旅行記その5「heat stroke」

8月11日木曜日。今日の夜の飛行機でいよいよ帰宅の途へ。

最後の悪足掻き(笑)リゾートアイランドのキレイなビーチで泳ぎたい!って事でコーラルアイランド(Hey island)へ。

結果3日連続となる朝の送迎がホテルに到着。他のホテルへ立ち寄り、他の日本人客もピックアップして行く。

先ずココで笑ったのは2日酔い気味らしい若者男子のみの客5〜6名。
どうやら彼らはタイの風俗に行ったらしく、「俺、◯◯バーツで全部してくれたぜ〜!」
とか、
あの女が、「イタリア人の彼は私に5000バーツくれたわとか言って来たけど、俺は払ってやらなかったぜ〜」とか、自慢話を連発。
ああ、何処の国の男子も年頃はこんなモンやな、等と思いつつ、同じ日本人として若干恥ずかしつつ、車はChalong bayへ到着。

ダイビングの時と同じ様にライフジャケットを着てスピードボートへ。

今度は15分で到着なので酔う前に着くだろう。

、、、ギリギリセーフだったかな(笑)

それよりもスピードボートがメッチャ波の上をバウンドしまくり、チン寒ロードしまくり。

後ろの客はナナメ前から飛んでくる波を被りビチャビチャ。

席があそこじゃなくて良かった。

まるでU◯Jの乗り物の様な、ス◯ラッシュマウンテンの様なアトラクション的な乗り心地で現地到着。

コーラルアイランドは船着場が無い為、浮きで作られた足場を長く繋げた人工の浮き桟橋が沖まで伸びていた。

またこれが第2のアトラクション。波が下を通れば足場も波打つ。

皆んな携帯とかカメラを持ってるので落ちる訳には行かない。

中には1歳位の子供を抱えるお母さんも。

あわわわ。

ビーチに着くまで結構大変!

各自ヨレヨレしながらビーチ到着。

流石に海キレイ〜!!
コレはテンション上がる!

ビーチチェアか並び、白い砂と透き通る波。
如何にも〜って感じのリゾートビーチ!

先ずは日程と注意を聞き、シュノーケル借りて、100バーツで貴重品ロッカーを借りて早速海へ。

パトンビーチ程では無いけど、結構波はありました。ナガシマのジャンボ海水プール位(ローカルネタ 笑)

波あるから、ライフジャケットを着る様に、と言われる。浮き輪の代わりですね。

今回浮き輪とゴザ持って行きましたが、リゾートではむしろ使わずに終わりました。

早速シュノーケル使いましたが、波が強いせいか、魚は全然いない〜

コレは残念でした。

ちなみに帰ってから動画で見た世界さ◯ぁ〜リゾートでは、コーラルアイランドはメッチャ魚いる!!
やっぱ乾季の1〜2月がベストなんだな、とこの辺で切に思いました。

しょうがない。でも波に揺られて浮かんでるだけでも気持ちいい〜

少し泳いではビーチチェアで休憩。

チェアは木陰に有るのですが、いいトコは割と取られていて、以外と日差しを食らう。

コレがあとでの後悔を呼ぶ事に、、、。


連日のアクティビティやスパイスの効いたタイ料理、旅行でやってしまいがちなハードスケジュールなどで夫婦共にお疲れ気味。

この日のランチもあんまり喉を通らない。
もー若くないわ〜。

それどころか若干気持ち悪くなったり。
暑さと湿気でバテたのかなー
食あたりしてないかなー

色々心配になって来た。

もう後半はあまり無理をしない様にした。

帰りの飛行機に今日乗るし。

ちなみにダイビングしてから18時間は飛行機乗っちゃダメです。命に関わリます。
ダイビングする人は事前に注意喚起を必ずされると思いますが、、。

最後の悪足掻きをして、帰りには結構なお疲れモードでホテルに戻る。

シャワーを予定通り借りて、レンタルのタオルを帰る。

ココでもレセプション側の部屋を着替えで貸してくれる親切さ。本当にありがたい!

疲れ切っていたのでソファで横になってなってました。

17:30頃、タクシー到着。

そして空港へ向かい出発。
手持ちのお金は1100バーツ。内1000バーツはチャーターしたタクシー代金。
今回ダントツに高い移動費だけど、帰りは時間通りに空港に到着したい為、止む無い出費。

残り100バーツは親切に色々サポートしてくれたスタッフさんに渡したい、と奥さん。
確かに、自分も同感だ。

女性スタッフさんにチップとしてお礼と共に100バーツを渡し、もう1人の男性日本人スタッフさんによろしくと伝える。

帰りのタクシーで金額に間違いが無いか運転手に再確認。
うん、大丈夫、1000バーツだ。
コレで残りは15バーツ。
お金を余す事無くほぼピッタリ使い切る。

だが後にコレで苦労する事に。

帰りのタクシー、自分はもうヘロヘロでした。
頭痛い。
気持ち悪い。
ダルい。
コレは食当りか熱中症だ。
余りにしんどいので1時間、車で横になって寝ながら空港へ。
ダイビングでの船酔い状態アゲイン。
コレで無事帰れるんかい。

1時間寝てたお陰で若干落ち着いた。
胃は相変わらずキリキリするが、何とかコレなら帰れそうな気がする。

空港に到着し、チェックイン場所を探す。
先ずEチケットで発券しなきゃ。
イマイチ何処で発券したら良いか解らない。
仕方なくインフォメーションで聞いてたり、窓口を訪ねてモタモタ。

疲れているのでイライラしてくる。
そうこうしてるウチに今度は奥さんが体調を崩す。
症状が同じだ。
ネットで調べてみる。熱中症っぽい。
コレはヤバイぞ〜

堪らず横になる奥さん。
少し時間があるので、先ずベンチで落ち着くまで休んで、何とかチェックインし荷物を預ける。

しかし、パスポートチェックの時に奥さんがまだdeparture curdを書いていなかった。
しんどそうなので前に並んで先にチェックを、と思ったら戻されてしまった。
そこで次の自分は書いてあったのでパスして中へ。
コレが失敗だった。

書き方が分からないと奥さんでも、1度中に入ったらもう外へ出るのはダメだと制止される。
LINEで説明するにも空港内のこの場所はWi-Fiが繋がらない。

仕方ないので大声で会話して説明。
何とか自力で書いてくれて合理。
しんどいだろうに、失敗してしまった。

丁度手持ちの水も底をついている。

再び奥さん横になる。

ベンチの目の前にフリードリンクを配るコーナーが!

助かる!と水を貰いに行くと、どの航空会社か聞かれる。
タイ国際航空だと伝えるとダメだと断られる。
何で?と聞くとバンコク エアウエイズ専用、他はダメだと。
何てケチな!!余裕が無くテンパる自分。

仕方なく水を買おうとするも、
空港の中は免税店ばかり。

僅かにあった売店
お水は55バーツ、手持ちは15バーツ。

カードは使えるかと聞くと200バーツ以上買い物しないとダメだと断られる。

他の店。カードはダメだ。

また他の店。300バーツ以上買いなさい。

マジかー!

さっき渡した100バーツをココで後悔する。

しょうがない、無理やり200バーツ以上の買い物を。

もう別に水以外欲しいものは無いのに。

メントス。さっき奥さんが別のコンビニですでに買ってる。

キットカット、30バーツ位。
安くてあまり足しにならない。でも無いよりは。
プリングルス、50バーツ位。

あとは500のペットボトル2つフルーツジュースを2つ買って何とか210バーツ。


肝心なとこでモタモタするダンナ。
焦りながら水を渡すが、気持ち悪くて殆ど飲めない。

出来るならスポーツドリンクが良かった。

依然体調は回復しない。

コレから飛行機2回乗るのに、コレはツラい!
無情にも搭乗時間。
せめて機内スタッフに伝えて何とかしなきゃ。

翻訳ツールで熱中症を検索。
Heat Strokeと言うらしい。

スタッフに伝えるとOh!とか言いつつ、ちょっと待っててと何かを取りに行く。

またこんな時に限って席が別々に場所に。

タイミング悪いわ〜。

するとスタッフが戻って来る。
お水と何やら脱脂綿みたいなのを持ってきた。
コレを鼻から据えという。

すると奥さん「ツーンとするけどメッチャ楽になる」と。

多分アンモニアだと思われる。
1時間的に薬でマヒさせる感じなのだろう。

コレは助かった!
バンコクまで1時間のフライト、また様子を見に来ると言いつつ、少し胸を撫で下ろす。

自席に戻ると疲れて寝落ちてしまった。

そしてバンコク着。
大分良くなったかな?と奥さんの様子を見に行くと全然良くなってない。

むしろアンモニアも効きにくくなっている。
やっぱ一時的なマヒだけなのか。

もう歩く気力も無い感じだったので、先にトランジットのレーンを先に調べてからG1Aゲートへ向かう。

行きと違い直ぐ日本行き飛行機が出発する。

何とかスポーツドリンクを買いたいと思い、今一度売店巡り。

この時は「Heat Stroke!」と伝えまくる。
心配はしてくれる優しい国民性を見せてくれた店員とは裏腹にスポーツドリンクが見付からない。

仕方ないので乗り換えゲートへ。
すると身体検索で機内への液体持ち込みはダメだと買った飲み物を全部捨てられてしまった。

そうだったと半分思い出しつつ、She is a Heatstroke!!!と何度も訴える。
でも結局却下。


コレには悔し腹立ちまくり。
搭乗口直前の待合室でフライトまでの間、もう一度横になり寝てもらったら少し楽になって来た様だった。今度は席も隣。やっと少し胸を撫で下ろす。


途中空港に着いてからの飛行機〜空港までのバス、空港〜トランジットまでのバスは本当に地獄。
あんまり苦しそうなので見てるコッチが可哀想になって来てました。

中部国際に到着する少し前に出た機内食のうどんが優しくて夫婦で感動。

帰ったら納得と梅干しが食べたいと2人で言ってました。

お互い飛行機で寝て少し回復、ヤマは越えました。

中部国際に着き、チェックアウト、荷物受け取り、入国審査し外へ。

レンタルしてたWi-Fiを返却し、名鉄〜地下鉄〜タクシーで自宅へ10:30頃到着。

行き以上に遠く感じた。
もう乗り物と刺激物は当分いいわー、とマジで思いました。

8/12金曜午前に到着後すぐ、11日の現地出発の夜にテロが有ったと聞く。
プーケットでは死者は無かったそうですが、自分達が歩いてたpatong beach沿いの交番辺りで爆発があったそう。

何だか後半は色々大変な旅でした。

帰って念願の納豆ご飯に梅干し。

日本食バンザイ。

その日は一歩も家を出ず、2人とも爆睡なのでした。

ともあれ濃い6日間、決して忘れる事は無いでしょう。

翌8/13土曜日は刈谷の実家で墓参りと泉田の盆踊りに姪を連れ、夜は郡上踊り。オガと合流して朝まで語る。

買い物し昼前に帰宅し8/14日曜はまた1日グッタリ寝る。

そして最終日8/15日曜、コレを書く。

アッと言う間にディープなお盆の9日間は過ぎて行くのでした。

でも濃く忘れられない旅。

今回、コレを書いたのは前回の新婚旅行と同じく、後でジックリ思い出したかったから。

また旅のお供に、と星野源のエッセイ本「蘇る変態」を読んだから。

久々で、しかも細かく一気書きで7〜8時間くらい書き続けた乱文でしたが、昔のblogの様に、そして源さんのエッセイがいきなりおっ○いの話で始まる様に、ちょっとくだらなく書きました。

明日からまた怒涛の日々、その切り替えの為にも。

あー面白い日々だった!

旅はやっぱいいですね*\(^o^)/*