田原の叔父さん

メロンの漬物と梅干し。

◎先日、田原市へ行ってきました。
小学生以来の、親父の妹さん夫妻の家。
子供の頃の記憶と言えば、蜜柑の木があった事くらい。

車で2時間強、家の付近までは道が新しくなってて面影が無かったけど、脇道に入った瞬間に記憶が一気に蘇る。
到着してみると、ああ、こんな感じの駐車場だった、とうっすら蘇る記憶。

すぐに叔父さんが出てきて、「遠い所よく来てくれたね」と。
もうそれだけで何だかジーンと来てしまった。

渥美半島は名古屋より気温が2度ほど暖かく、海も直ぐ側。天気の良い日は富士山が見えて、夜は満天の星空なのだそう。

叔父さん曰く、「ここは隔離されている」そうで、同じ愛知県とは思えない穏やかな空気。

そう思うのは、普段自分が仕事の喧騒に巻かれている所為なのかも知れない。

お家は立派な日本家屋、畳の佇まいは、前の家と同じにしてあるらしく、自分が子供の頃訪れた、玄関が土間の家の面影を残す。

話し始めるお部屋も掘りごたつ。
甘味と、父の妹さんが漬けた美味しい漬物が出てきた。

これが、それなのである。
メロンの漬物と梅干し。

こちらから切り出しにくい話も、向こうから切り出してくれたり、

「仕事を頑張れば、その後楽しい事も沢山待っている」だとか、

「俺は胃袋を嫁さんに掴まれている」だとか、

グランドゴルフで県大会に出場して、そこで100歳位の方が自分より元気だ、とか(叔父さんは多分もうすぐ80歳位だか、ピンピンしてきる)

定年後10年位、アジアを旅行して回った話とか、

叔母さんが子供の頃、実家近くの神社の木でターザンしてた話とか、、、。

あっという間に時間が過ぎました。

このおじさんが自分は改めて大好きになりました。

子供の頃、あぐらをかいた膝の上に自分をちょこんと座らせてくれた事。

いつも親父とラガーを飲んでいる姿

他の親父兄弟よりも一番良く来てくれた事

など、色々想い出しました。

「少しだけ寂しかったのは、昔から、そして亡くなるまで、最期まで心を開ききってくれなかったなぁ、お前の親父さんは」と仰っていました。

相手が心を開く様に、と気遣ってくれたそうです。

まぁ親父も自分のペースを持っている人なので、止むなしなのですが、自分の知らない「外から見た年下の、奥さんのお兄さん像」を聴くのも何だか面白かったです。

また、「月日が経って行くと、段々親父の事も忘れて行くよ」と仰ってたのが印象的でした。

帰り際には線香を上げさせて頂き、

「また、夏に奥さんと子供を連れて遊びにおいで」「はい、是非」と交わし、

帰りには漬物と、トマトと、お菓子と、父の仏壇に供えるお花を持たせてくれました。

県道に出る近道を、と途中まで一緒に車に乗った叔父さん。

名残惜しそうに、一緒にいた姉と、手を握り合いました。

「あったかいなあ、若い人の手は」と叔父さん。

「大きいですね、叔父さんの手」と僕ら。

何だか、もう居なくなって味わえない父親の優しさに触れられた様な気が何度もして、

何度もウルっと来てしまいました。

まだ両親共に健在で、帰り際に野菜を沢山持たせて、帰りは駐車場で車が見えなくなるまで見送ってくれていた時の姿を重ね、とても愛おしく思いました。

実家の様な、

奥さんの仙台の実家の様な、

暖かさと優しさを感じられた時間でした。

また、改めて遊びに行こうと思いました。

いつも、こうやって遠路はるばる来てくれて居たんだ、と。

今度は自分がラガーを持って、叔父さんと酌み交わしながら、一晩泊まりに行って、朝散歩を一緒にしてみたい。

そう思った日でした。

健康に、長生き出来ますように。

ありがとう。