わにわにと日々1

2017年8月6日。
家で、独りでこの日記を書いてます。
時間がある今だからこそ書けるかな?

◎2016年末から2017年、ココまでは怒涛の日々でした。

個人的には天国と地獄を同時に味わうスタートでした。

◎2016年末12/28頃、AM5:00
夜明け前のまだ暗い時間に、奥さんが泣きながら僕の事を呼びました。

「ずーちゃん」

大号泣する奥さんに若干引き気味の俺(笑)
びっくりする気持ちを抑えながらどうしたの?
と聞くと、


「子供出来たかも」と。


コレは本当に嬉しかった。

2人で「よかったね」「よかったね」
「無事出来たね」
「ココまで良く頑張ったね」
と抱き合いました。


●遡り2011年5月、東日本大震災からまだ間もない頃。
ダンサーの大御所先輩の二次会に彼女と出席し、被災地支援の為に名古屋の皆から物資と支援金を募い、タントに詰め込んでさあ、仙台へ行こうかとしていた夜でした。

彼女から「妊娠したかも」と言われました。

しかし、同時付き合いまだ半年ちょっと。
自分の誕生日に、彼女の地元東北で震災もあり、まだ一度も現地の様子が見れない時。

そして、結婚の話も出ていない、心の準備も出来てない時で、

どうしよう、両親にどう伝えよう、GWでこっちの産婦人科もやってない、というタイミングでした。

とにかく仙台に行き、一泊した翌朝現地でコッソリ2人で産婦人科へ行き、検査薬の結果がどうだったか確認しました。

「4週目です」との診断。

この時、2人で仙台の実家近くの「さんちょこ」のベンチで彼女が号泣したのは今でも忘れません。
まだまだ人生やりたい事沢山。
名古屋で生きていく勇気も無く不安。


そして、それだけでは終わらず、名古屋に戻ってから大量出血し、緊急連絡を貰い、2人で星ヶ丘産婦人科へ通院。

「胞状奇胎」との診断。
すぐその晩には手術でした。
術後、タンカに乗せられ、薄れる意識の中で何度も吐く彼女を目の当たりにして、この人を一生支えるんだ、と当時強く想ったものです。


その時、感極まりプロポーズするも、「こんな時にそんな事言わないで」とアッサリ断られたのも今となっては笑い話(笑)
※その後、富士山山頂でプロポーズし無事結婚

そしてそのままでは終わらず、侵入危殆と診断され、彼女は抗ガン剤治療をする事に。

異常妊娠、治療で来る吐き気、抜ける髪。
そんな苦労と心労を重ね、乗り越え、仲々子供が出来ない日々で不妊治療も考えていたので、本当に嬉しさ一際でした(^^)


間も無くして悪阻が始まりました。

そしてそんな新年、仕事での中国、南京行きが急遽入り、

色々重なり頭が一杯になった状況の中で、人生の大きなミスを重ねました。

仕事が忙しく、仲々帰宅出来ないのを見かねて、実家のお母さんが1週間、体調の悪い娘のゴハンを作りにこちらの家まで来てくれました。

あまりに不甲斐なく、でも遠慮する余裕など無く、素直に甘えてお願いしました。

3月末位までは仕事もプライベートも全てバタバタで夫婦共に不安な日々で、

安定期に入る頃、5月位にやっと少し生活も落ち着きを見せ、

気分展開に星野源、ペンタトニックスのLiveを夫婦で観たり、リフレッシュが出来る様になりました。