初めて会ったギニア人。

今日はちょっと懐かしい、長い、個人的なお話。


◎アフリカンを始めて4年くらい経ちます。
経緯は色々なのですが、ジンベを買ったのは2001。

友人であるドラマー、bluebeatjamのKンマ氏に影響を受け、スペイン遊びに行った時に小さいのを購入。
その後ヤポネシア主催ワークで立ち並ぶ太鼓の地響きにヤラレてすぐ大きいのを買いました。
でも最初はたたき方も分からず、ダンスやDJする時に聞くJBとか、ZEB ROC SKIとか、RUN DMCとか
そういう曲のブレイクビーツを思い出して叩いてました。


そのまま4年経ち2005年。
忘れもしないアフリカンダンス開始イヤー。
N雪姐さんのblogに、突如アフリカンの記事、太鼓たちの写真が掲載され始めたのです。
夏頃、初めてその練習を見に行くうちに踊り始める事になりました。


そして10月位かな?「旅の空」というイベントがありました。
そこで出会ったのがカンカンアフリカのメンバー。
そして故・アブドゥバングーラ。


野外のイベントで「濃いな〜」と思った 笑


その時点でソリは踊れていたのでライブに参加しました。
アブドゥは演奏はしていなくて、遊びに来てました。
第一印象。寡黙。
今でこそ、会うギニア人、というかアフリカ人は皆陽気で自分大好き! って感じと知りましたが
彼は当時、何だか近寄りがたかった。


「その帽子イイネ〜」
Michel Jordanのニットキャップ。
アフリカ人慣れしてなくて緊張していた僕の頭を指さして彼は言った。
気に入ってたみたい。


この頃からアフリカンに本格的にハマり、翌2006年3月、今池で主催した初めてのライブ
"All That Jam"ではトリがカンカンアフリカでした。


そこで彼は遊びに来てくれて、ライブにジャンベで飛び入り。
メチャうまい!!   ・・・んだけど


テンション上がって場を仕切り始めた。
ノリノリなアブドゥはモリモリ(シャレじゃないよ)にジャンベレッスンをし始めた。


あらギニア人らしい 笑



そんな彼の訃報を聞いたのはその年末、いや 年が明けてからでした。

彼がバラフォンの名プレイヤーだった事。

その後出会うメタギや日本のプレイヤーたちと親交があったのを知るのはずいぶん後。
昨年10月の千葉での追悼ライブだった。


思えばこの時に全ては動き出したのかな?



「彼の追悼ライブをやろう!」


とは言っても僕らはプロのミュージシャンじゃありません。
そんなに大きいイベントやる力も、ぶっちゃけお金もありません 汗


でも、メンバーそれぞれ、自分以上に思い入れが深くて、
1年掛けてゆっくり準備してライブをやろう!

って事になったのです。


その1年が経つまであと1月半!

はええな〜




◎そんなこんなで、当日MCやるのに
一番最初に言いたい事全部書いちゃった 笑


今、メンバー皆で準備してます!
奇しくも今年、奥さんだったNナちゃんもアフリカンパワーを引っさげて帰国してきました☆


縁のある人たち、縁のある曲を
感謝の意味と、彼のような素晴らしいプレイヤーがいた事が少しでも
伝わればいいなあと思います(^^)


モチロン、彼を知らない人、アフリカンしてない人でも楽しめる時間・空間です♪
インフォメーションするので是非遊びに来てくださいね!